まぼろしの「伊東幕府」?

2019.10.03

界 アンジンから歩いて15分の場所にある伊東市役所の敷地内には、伊東祐親(すけちか)の銅像が建てられています。
また毎年5月に伊東では「伊東祐親まつり」が開催されます。
源平争乱の時代を生きた伊豆国の武将・伊東祐親は、かつてこの地を治めた英雄として伊東では慕われています。

しかし彼はNHK大河ドラマ「平清盛」などにも登場していますが、物語の中では、鎌倉幕府を開いた源頼朝の「敵役」として描かれることもよくあります。

今から800年以上も前のことですが、伊豆の豪族であった祐親は、平治の乱に敗れ伊豆に流された源頼朝の監視役を任せられます。ところがこの頼朝、祐親が三年の京都出張に出ている間に祐親の娘・八重姫と通じ
千鶴丸という子まで設けてしまいました。

これを見た祐親は平氏の反感を買うことを恐れ、自身の孫にも当たる幼い千鶴丸を殺し、さらには頼朝をも殺そうとしますが、これを事前に察知した頼朝には逃げられてしまいます。

祐親のもとを離れた頼朝は、今度は北条時政の監視下に置かれることになりましたが、何とここでも時政の娘、政子と付き合い始めます。ところが、時政の対応は祐親と違いました。二人の交際をゆるし、頼朝の援助をするようになったのです。時政の援助を受けた頼朝はその後、勢力を盛り返し、平氏を滅ぼして鎌倉に幕府を開くまでになりました。

頼朝を追い立てた祐親と、頼朝をかくまった時政。もしも祐親が先に頼朝のことを認め、援助をしていたら・・・。

頼朝が幕府を開けるまでいたったことには、もちろん様々な要素があったと思います。
だから祐親が仮に頼朝をかくまったとして成功していたとは限りませんし、そもそも「頼朝をかくまう」ことなど、時勢や立場を考えれば、祐親には到底考えられないような選択であったのかもしれません。
しかし、その時に選んだものが違えば、歴史は全く違うものになっていたと思います。

歴史に「たられば」はないと言われますが、「11××年、源頼朝は伊東に幕府を開いた」かもしれない、という想像は、歴史好きにはたまらない楽しさがあるように思います。
秋の伊東を散策しながら想像をしてみるのも楽しいと思います。

※注意:伊東祐親や源頼朝をめぐる逸話には、諸説あります。

  • 界 アンジンスタッフ

    界 アンジンのスタッフが、施設の最新情報や伊豆・伊東の四季、周辺のイベントなどをお知らせします。

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